STEAM教育におけるARTはファインアートでなければならない理由。

非言語ゆえに持っている情報量が膨大なので、あなたの心の小さなところも他者と共有できうるから。

そして、こんなところにもテキストの限界が現れる。

 

schulterdachは日本語に翻訳すると「肩峰」で正しい。大正解だ。

なのに、実はちょっと違う。

 

「峰」は山のピークポイントのことで、点のイメージ。肩の頂点といった感じ。

 

ところがドイツ語のschulterdachは分解すると「schulter(肩)」+「dach(屋根)」である。

「屋根」なので、棟木があり、垂木があり、庇があり、天井がある。立体的なイメージだ。

骨格模型を見ると、確かに屋根の「覆い被さる」感がする。

 

しかも、肩峰と右側の突起(烏口突起)の間には靭帯が渡っている。丁度、棒と棒の間を毛糸でぐるぐる巻きにしたような感じだ。キャノピーを張っているようにも思える。

 

上腕骨頭は丁度ゴルフボールがピンの上に乗っかっているようなものなので、大腿骨頭と違ってすぐに外れてしまう。屋根がそれを守っている仕組みになっている。

肩峰も形を見てできた言葉だと思うが、ドイツ語のschulterdachは、もっと内部構造に意識が向いている。

元々の単語そのものが構造を述べているのだ。

 

作り手は内部構造に意識が向かうので、変な話、ドイツ語の方が一周回って「わかりやすい」という不思議な現象が起こる。

 

これがテキストの限界だ。別の言語で作られたものは、その言語宇宙に一旦飛び込まないと、その言語宇宙の住人の脳内イメージを再生できないという限界。

 

これが「わかったようで、イマイチわからん」ようになる原因だ。

 

どうする?!

 

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