質問7 デッサンする上でデスケルを使うのはOKですか?アウトですか?

 

→デスケルは厳しい時間制限の中で素早く仕上げる必要がある時に使う道具です。

また、かなり大型の画面に像を展開する場合にも使用できるかもしれません。

しかし、ことデッサンにおいては、本来は不推奨の道具です。

というのも、デスケルはせっかくの3Dを座標平面化=2D化してしまうからです。

頭の中で3Dを別の3Dに置き換える認識変化が起こりません。

 

実際、「デスケルがないと描けない」というのは紙の縦横比が異なると途端に描けないということです。

これは紙を「3次元空間への広がりをもつ窓枠」ではなく「2次元」として捉えています。

はかり棒のような、まっすぐで長く、手回しの良い道具で、構図やトリミングの感覚を鍛えた人にとっては、デスケルは使いづらいものです。

 

古臭いと思われるかもしれませんが、竹串は目盛も入っておらず、丈夫で軽く、非常に使いやすいです。

画面の中では全ての大きさは「何センチ」ではなく、「比」で決まります。

A:B が2:3  に見え、B:Cが1:2に見えるのならば、A:Cは1:3に見えるはずです。

デスケルを手放せないと、この比の感覚、トリミングの感覚が育ちにくくなります。

 

質問 8 臨場感というならば色彩があった方がよりリアルなのに何故モノクロなんですか?

 

→はい。確かにモノクロは不自然なのですが、あえてそのようにするのには理由があります。

それを理解するためには「光」を理解する必要があります。

「光」は要素として大きく明暗と色彩に分かれますが、デッサンでは先に色彩ではなく明暗にのみ注力します。

それも人間の本能に根差した臨場感※を作るためです。

 

また、最終的には色も取り入れたデッサンもやる必要があり、それをしないと色彩のコントロールが難しくなり、「モノクロのデッサンは魅力的で自分でもワクワクするのに、色が入るとだめになる」状態になります。

したがって、最終的には色彩も取り入れたデッサンをすべきで、その時には改めて

この世の大半はグレーでできていることを認識できるでしょう。

※「明暗さえ分かれば、とりあえず生命の危機を回避できる」ことから、明暗が整っているものを見ると人間は本能的に安心し、安心→快い、すなわち美しいと思う

 

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