(思考実験)

あなたは学校の美術の先生です。生徒の皆さんに夏休みの宿題として「デッサン」を課しました。

 

1 りんごをデッサンして提出すること

2 画材は画用紙と鉛筆

3 本物をよく見てデッサンすること

 

9月1日 提出の日

生徒Aくんは、普段は美術にあまり熱心ではありません。ところが、Aくんは今回はものすごく上手いデッサンを提出しました。

 

立体感や陰影もバッチリで、空間感もあり、マッスもムーブマンも感じられるものでした。

あなたは驚くばかりです。こんなに上手いデッサンならば文句なし。

高い評価をつけようとしました。

 

そこへ別の生徒Bくんがやってきて、あなたにこのように訴えました。

 

「Aくんはズルをしている」

 

 

Bくんの言い分はこうです。

「Aくんは、ちゃんと実物を見て描いていません。りんごをスマホで撮影して、それをコンビニで引き伸ばしプリントして、トレーシングペーパーで輪郭線や陰影を写し、画用紙に転写したんです。

 

それに対して、Aくんは猛然と抗議します。

 

「僕はちゃんとりんごの実物を観察したぞ。表面の凸凹や、模様や、ヘタの形だって見たさ。使っている道具だって決められたものだし、写真を使っちゃダメだって先生は言わなかったじゃないか。僕はズルなんかしてない。上手いデッサンが描けたんだからいいじゃないか。君は自分のデッサンが僕より上手くないからやっかんでいるんだ。」

 

Bくんも負けていません。

 

「ズルして上手く描けたなんて、本物の実力じゃないじゃないか。僕は自分の力だけで描いたんだ。お前みたいに機械の力を借りて描いたものなんか嘘っぱちだ。僕の方が本物だ。」

 

二人とも、ほとんど喧嘩のような状態になってしまいました。

 

さて、あなたはAくんの提出物の評価を下げますか?それとも高評価のまま変えませんか?

 

「コピーで描いたデッサンであることを見抜けない、イケていない美術教師がよくない」というのはこの場合「無し」と考えてください。

 

Aくんの提出物は本当に素晴らしい出来だったのです。マッスもムーブマンも、空気感、空間感、全てです。

 

 

評価を下げると思ったあなた。いや、評価は変えない、と思ったあなた。

 

例えばこれが、学校の美術の授業ではなく、美大/芸大の受験会場だったとしたらどうでしょうか。

AくんやBくんの諸事情など、審査員のあなたは知る由もありません。

 

いやいや、会場のその場でデッサンするから、ズルできないでしょ。というのがリアルですが、問題の本質はそこではありません。

Bくんの訴える内容を知らなかったとしたら、あなたは恐らく迷わず高評価のままだったはずです。

 

 

改めて伺います。

AくんとBくんの論争に終止符を打てるような解答とはどんなものでしょうか。

(7/7 京都アトリエRojue 人体解剖学セミナー「よく観て描くの因数分解 顔・頭部編」より一部抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 

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