渡邊一雅先生が京都で主催されておられるアトリエ ROJUE は人間を描きたい人、彫塑で作りたい人にとっては最高の学びの場です。

 

1 経験を踏む大切さ

 

ROJUEでは正に浴びるように生きているモデルさんを描きます。その圧倒的な量。

ROJUEのメンバーはその訓練を楽しく、かつ徹底的にやりますので、一般的に言われるような技巧的な上達の早い遅いはあれ、「人」「人のかたち」に対する観る能力を知らず知らずに己の体内に育んでいきます。

こればかりはどうしても本物に触れた経験値を積むしかないです。

 

 

2 「わかっている」と思い込む恐ろしさ

 

技巧的に上手いとされる制作者によくあるのが、どうせ人のかたちってこんなもんでしょ、という考え方です。

上手いので、ささっと見てくれのよい絵が描けたりします。ウィルよりもスキルで先に注目されてしまったケースです。

しかし、実はこれは恐ろしいことなのです。脳が感動し、追究することを放棄している状態だからです。

経験値が本人の能力に対して中途半端で終わっているとこうなります。

 

 

3 脳の躾直しの難しさ

 

これは人を全く観察したことがない事よりもタチが悪い状態で、本人が危機感を持たないと治りません。

渡邊先生はこういう描き手に対しては京都人(みやこびと)特有の荒療治を行うことがあります。

それでも治らない人は治りません。そもそもそれを治すのは渡邊先生ではなく、ご本人です。

簡単に結論づけないこと、真摯に観察し続けることしかないのです。

 

4 わからない、でも描きたい

 

逆もまた真なり、です。

自分でどうすればいいのか分からない。でも何としてでも人間を描きたい。

そういう人がROJUEで描くと、まるで萎びていた植物が水を得て復活するかのようです。

みるみる観察力と表現力を身につけていきます。

本当の意味で上手くなるのです。技巧上達は元より、眼が肥えるので、権威に影響されません。

裸の王様を裸であると見抜く力も付きます。

「スキルよりウィル」を大切にすると、結局スキルという一言では済ませることができない、

骨太な観察力と表現力を得ることができるのです。

 

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